




農業一筋50年、地元で米作りと田んぼを守る
米作るのは、お金の問題じゃない
Googleマップで見ると、藤沢市の東部西俣野地区、境川と御嶽大神のある丘に挟まれた、細長い、決して広々しているとは言い難い平地に、田畑が広がっているのが分かります。昨年末、農アンバサダーのLioさんに連れられて、稲刈りの終わった田んぼを見にきました。
「このエリアに、藤沢で酒米(酒造好適米)を作っている、石塚さんの田んぼがあります」(Lioさん)
酒米は、いわゆる主食米とは違う品種で、地元の米で日本酒を作りたいからと、茅ヶ崎の酒蔵、熊澤酒造から石塚さんに打診があり、米農家仲間3人で生産を開始。2023年には、初めて純粋に藤沢産の酒米だけで作られた日本酒「藤田熊醸」が誕生しました。以来藤沢産米のお酒は毎年醸造され、酒米農家も7軒に増えました。
「酒樽1個分日本酒を作るには3tの酒米が必要なんです。2022年にやっと藤沢産だけでそれだけの量が獲れるようになった。限定4合瓶4000本、酒蔵は、味はもちろんですが物語のある酒造りをしたかったみたいです」

石塚義章さん、70歳。先祖代々米作り農家で、ご本人も地元で50年続けてきました。昔は家が農家なら継ぐのは当たり前、ということで始めた農業。でも20代、30代の時は、米作りは全然面白くなかったと言います。50代で息子さんが大学を卒業し学費の心配も子育ても、もうおしまい。あとは自分の好きなように米とか菜っ葉を作ればいいんだ、と思ってから考えが変わったと。
「ちょうど50歳の時に、地域の土地改良委員会の理事長になったんです。それまでは自分の田畑の事しか考えてなかったのが、地元40haの全部の田んぼの面倒を見ないといけなくなった」
境川沿いに南北3kmある農地、上では溢れるほど水があるのに下は流れてない。こんなに違うんだと思ったそうです。
「ただ、このころか米作りが楽しくなった。農業の『業』の方、お金を稼がなければという部分がなくなって、純粋に『農』の部分、作物を作ることを考えれば良くなったからね。酒米作りもその一要因ですね」

米農家である石塚さんですが、それでも作っているのは野菜が8割以上。米は1、2割しか作っていないそうです。
「売られている米の値段が高いことが今問題になっているけど、これまで米の生産者の価格は原価計算したら合わないようなものだったんですね。さらに稲作にはコンバインとか機材代もかかる。息子は農家を継いでくれましたが、それなら野菜を作ったほうがいいと言う。肥料、水利、種代含めて原価計算したら当然そうなんだけれど、そういう問題じゃない。私たちは、種を蒔く時そんなことは考えずに、立派に育てよ、いっぱい実をつけろよと、ワクワクしながら育てるんです。でも収穫してみたらこの値段、何だコレ、ですよ」
酒米は、蔵元が主食用よりも高値で買い取ってもらえた。でもこのところの価格高騰で値段が逆転してしまったといいます。でも酒米作りは楽しい、だから生産者は買取価格が半分になっても、米づくりをやめないでしょうね、と石塚さんは言います。
「米の買取価格は、自分たち農家で決められない。じゃあ、JAが決めているのかというと、JAが買い取る量は全体の3分の1くらい。概算金で決められた額を上回る値段で、庭先に業者が来て買っていくんです。大臣さんとかは、米価は市場経済に任せればいいと言うけれど、米は日本の主食なんだから、国がしっかり下支えしないと。
それに、神奈川の米づくりは、所詮、零細。米どころの広大な水田と同様には論じられないですよ。県内の組合では、米作りを一切やめたところもある。そういう決断もありますね」

農業一筋と言うけれど、石塚さんのお話は、経営、経済、食糧安保にまで広がります。実際、学校などで子ども向けに米作りの話をしたり、幼稚園で稲を育てて、採れたお米でおにぎりパーティーをすることもあるそう。
「お米なんて、スーパーで売っているもの、と思われているけど、こんな風に時間をかけて泥だらけで作るんだって。最初は、泥に触れるのを嫌がるけれど、最後は喜んでどろんこになっていますよ。子どもたちだけでなく、先生も米作りを知らないですしね」
就農人口が減少する中、地域内で米作りができなくなった農家の田んぼを預かって生産しているという石塚さん。息子さんは米は作らないので、自分もいつかは誰かに任せることになるだろうと。新規就農者の支援、指導も行いつつ、地元の米作りを見守っています。
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